「映画大好きポンポさん」から考えるゲームのコスパについて

始めに

「映画大好きポンポさん」という映画を見た。

主人公であるジーンくんという映画オタク/製作アシスタントの少年が、映画プロデューサーであるポンポさんに監督に指名され、奮闘しながら理想の映画を作り上げる…簡単に言ってしまえばそんな映画だ。

しかしその過程で描かれる「創作に対する障害や問答」の数々は、クリエイターを目指す、目指したことがある人なら必ず良い刺激になると思うので是非見てみてほしい。

少なくとも90分、2000円の価値は間違いなくあるだろう。

 

その中で一つ、映画を見終わった後も私の心に残り続け、睡眠時間が3時間ほど削られた原因になった言葉がある。

 

それはとある理由により「90分を超える映画は見たくない」というポンポさんの、

「2時間を超える集中力を観客に求めるのは、製作者の傲慢だよ」

といった言葉だ。

 

この言葉がゲーム…特にRPGというジャンルが好きな私の心に残った。

理由は単純、「RPGって、めちゃくちゃコスパ悪くね?」と思ったから。

さらに言えば「好きなものを否定されたような気分になった」からだ。

※本編の言葉にそのような意匠はなく、勝手に私がそう思ってしまっただけだが。

 

創作物のコスパについて

そもそもゲームは映画や小説に比べて完結までに恐ろしく時間がかかる。

映画は2時間、小説は3時間程度で1つの物語が完結するのに対して、ゲームは少なくとも20~30時間はかかる。

ゲームは内容によって大幅にプレイ時間に差があるため一概には言えないが、私が最近プレイしたゲームでは大体その程度…場合によってはそれ以上の時間がかかっている。

 

もちろんゲームは物語だけでなく、探索や戦闘といった他の要素も含めての時間となるが、1つの物語の始まり~終わりを見届けるための時間と考えればやはりそのくらいの時間はかかってしまうだろう。

 

コスパを「購入した金額に対する遊べる時間」と考えれば最高クラス、

「1つの物語を体験するのに必要な時間」と考えれば最低クラス、

それがRPGというジャンルの「物語」に対するコスパだろう。

 

ではなぜ、これほどまでにRPGはプレイ時間が長くなるのだろうか?

 

 RPGの物語には無駄が多い

チェーホフの銃」という言葉がある。

これはロシアの劇作家であるチェーホフが提唱した概念であり、「ストーリーには無用の要素を盛り込んではいけない」という考え方である。

小説や映画では「銃」の描写があれば、その銃は必ずどこかで使わなければならない。

もしそうでなければ「銃の描写」は無駄なものであるし、読者や視聴者を混乱させる可能性を考慮すると「すべきでない」ということになる。

 

対して、RPGはどうだろうか?

RPGにはたいていの場合「サブクエスト」と呼ばれる「脇道」が存在する。

このサブクエストはクリアするかどうかはプレイヤー次第で、本筋となる物語にはほとんど影響しない。クリアしても報酬としてお金や素材が貰えたり、一部のメインストーリーのセリフが少し代わるくらいだ。

また、ダンジョンの中には多くの脇道と回収してもしなくても良い宝箱が置かれているし、街の中には話しても話さなくても良い脇役(NPC)で溢れている。

 

先ほどのチェーホフの銃の理論で考えればこれらの要素は「無駄」…むしろ「排除すべきもの」だろう。

なぜならプレイヤーに選択肢を大幅に与えているにも関わらず、最終的な物語のゴールはほとんど変化しないのだから。

(最近は選択によって物語自体が変化するゲームもあるが、今回は割愛)

 

では、上記の要素を取り除けば「神ゲー」に成り得るのか?

答えはNOだ。間違いない。

一本道ゲーと揶揄されたファイナルファンタジー13発売当初の炎上を見たか?

圧倒的な自由度誇るウィッチャー3やゼルダの伝説BotWの賞賛を見たか?

 

結局、ゲームには無駄が!いや、自由が必要なのだ!!

 

RPGの無駄は無駄じゃない

先ほど紹介した無駄な要素は、ゲームには必要なのだ。

というより、物語性を持つ媒体の中でこれらの「無駄」をこれほどまでに許容する唯一の存在…それがゲームなのだ。

故に、「無駄」をなくしたゲームはゲームではないと言われてしまう。

 

ゲームにおける無駄とは、自由と深みの象徴だ。

 

物語上は行く必要のない場所に足を向け、

話してもストーリーが変更されないNPCに話しかけ、

クリアしてもしなくても良いサブクエストを気の向くままにプレイする。

 

それら「自由な行動」が、物語の世界の土台を彩る。

そうして色付いた世界の上で展開される物語は、映画や小説とはまた異なる顔を覗かせる。

これがゲームの、ゲームにだけ許された「強み」なのだ。

 

ストーリーに関係のない場所で、世界は美しい自然の姿を、人々の営みを、様々な課題を孕んでいるのだ。

 

それを感じさせてくれるゲームが好きだ。

それを感じさせてくれるゲームが作りたい。

 

あぁ、どこか懐かしく、忘れていた感覚。

ゲーム作りの勉強をしているうちに、忘れてしまっていた感覚。

 

「映画大好きポンポさん」で「ポンポさんの理想の映画」について語るシーンを見て今、私は「私の理想のゲーム」に改めて触れられた気がする。

 

結論

結論を述べると、私はRPGに費やす膨大な時間は決して無駄ではないと考えている。

RPGでしか味わえない感覚を味わうための時間として、決してRPGコスパは悪くないのだと声を大にして言いたい。

ただし、それらの時間は「世界を広げるため」の時間である場合だ。

無闇やたらにプレイ時間の引き延ばしのためだけに代わり映えのない作業を強制するような仕様はこの限りではない。

 

NPCの素朴な日常の会話、アイテム欄のフレーバーテキスト、まだ知らない秘境…もっとこの世界に浸っていたいと思わせるための「無駄」の多いゲームを作りたい。

 

正直、感情の思うがままに書いたので色々と反論などあるかもしれない。

 

そう思った場合は是非、自分なりの「理想」を記してほしい。

他のクリエイターの理想は、とても良い刺激になる。 

 

「映画大好きポンポさん」は、改めてその事実を教えてくれたようだ。